寒ければ鍋が食べたい

燦然たる星々に

祖父母について

祖父母のことは、あんまり好きじゃなかった。でも、別に嫌いでもなかった。それなりに嫌な思いもしたが、他の兄弟ほど強く嫌いと言えなかった。

祖父は畑仕事がなければずっと部屋で時代劇を見ている人だった。耳が遠くてごはんに呼びに行くと、何度も大きな声で呼ばなくてはいけなかった。しかも返事してからが遅かった。祖父の部屋はいつもテレビがついていて、小さい頃は一緒に刑事ものの連ドラを会話もなくぼーっと見ていた。

畑や田んぼの管理は細かい人だった。おそらく元々の性格が細かい人なのだと思う。庭の花の世話もよくしていた。季節や花によっての世話がマメで、庭には沢山の花が咲いていた。私が小学校で育てていた枯れかけの花を蘇らせて大きく育てて種の収穫ができるまでに育ててくれたこともある。

その割に自分のことはあまりできない人だった。昔の人だからか祖母が身の回りのことを全てしていた。着替えさえどこにしまっているかわかっていなかった。すぐ人を呼んでいた。祖母と父はよく祖父のあれができないこれはどうするということを聞いていた。祖父が一人で近くのスーパーに買い物に行っただけで、我が家では一大ニュースのように語られた。

別にボケているわけでもないのに、同じ昔話を何度もしていた。祖父の言う「少し前」が何十年も前だったことが何度もある。耳が遠いのかなんなのか、一向に会話が噛み合わないことも多々あった。でも小学校の授業のために昔の道具や話を聞くと、あれこれ説明やら長話をしてくれた。

犬をよく可愛がっていた。犬を連れて畑仕事をして、おやつを多く与えては周りから怒られていた。犬の話をにこにこしながらしていた。犬も祖父によく懐いた。

祖母は色々と趣味があって人付き合いやおしゃべりをよくする人だった。それで私たちにもよく話してきたが、曖昧な返事で受け流していた。休みの日などに「どこ行ってきたんや」と言われることが多かった。それがなんだか詮索されているような気がして嫌だった。今思うと普通の会話の糸口なのだろうが、おそらく距離があったのだと思う。だから適当に返事をしていた。

祖母はコミュニケーションとしていけずな言い方をすることが多かった。額面どおり受け取れないような、そんな言い方をする人だった。かと思えばストレートな言動をしたり。そういうところが兄弟には嫌われていたし、私も苦手だった。おそらく母も苦手だろう。なんだか良くも悪くも"女の人"という人だった。

私が習い事のお習字に行くとき、上の兄弟とは違いまだ硯等のセットを持っていなかったので祖母の道具を少しの間借りていた。習字セットを持ってきてくれたことをぼんやり覚えている。水彩絵の具や裁縫道具も借りたことがあるように思う。

田舎の人らしい頼もしさがあった。ハチや毛虫やムカデやばかでかいクモなど、怖い虫が出たら祖母を呼んでいた。さっさと害虫駆除をする祖母のあまりの頼もしさに、みんなですごいなと笑った。小さい頃私がのぼせて風呂場で倒れたとき、ぱっと目を覚ますと祖母がいて、「なんや、気ついたし大丈夫や」と言っていて、なんだかわからないが大丈夫なんだろうと思ったのを覚えている。

祖母の作る甘い料理があった。とにかく大量の砂糖を入れる煮物は、昔はそんなに好きではなかったが、今食べると美味しく感じるのかもしれない。漬物や煮物をはじめ、正月料理や寿司など節目の料理には、必ず祖母の作った料理があった。

二人とも、晩ごはんの時に一緒にご飯を食べるくらいの人だった。あんまり何が好きでという話をお互いしなかったように思う。そもそも会話がそんなになかった。それは祖父母も同じで、私が何が好きとか趣味とかそういうことを知らなかったとは思う。かわいくない孫だったと思う。

二人は暗い古い家にいて、なんとなく、この実家の閉塞感を出しているのが祖父母のような気がしていた。おそらくはそんなことはない。自分次第なのである。でも当時はなんとなくそんな感じがしていた。祖父母との関わり方がわからなくて、それでなんだか居心地が悪くなっていただけなのである。

高校の頃から実家を出たいと思っていて、大学の第一志望は地方の国立にした。しかし頭も悪く容量も悪い私は浪人の末落ちて地元の私立へ行った。第一志望に落ちた挫折感と改めて自分の頭の悪さを自覚して伝えるのが恥ずかしかったが、そう伝えた時、「あんま遠いとこ行かんでええ、近くでよかったがな」とこともなげに言って笑う二人に、なんだか救われた気がした。大学に落ちたこともみじめな自分も「別にいいか」と思えてしまって、その言葉を聞いたとき涙が出そうになった。なんなら今は涙が出ている。

就職を機に今度こそ実家を出たのだが、その時も別にあれこれ言われた記憶はない。「そうか、いつから行くんや」くらいなものだったような気がする。そして実家に帰るたびに「よう帰ってきてくれたなあ」と言われた。出がけに金を渡そうとしてくるから何度も断った。

別に二人とも死んだわけじゃない。私が実家を出て、知らない間にボケてしまって、もう私のことを忘れて、家からいなくなっただけである。

そのことが悲しいわけではないのかもしれない。自分が生まれ育った場所の形が変わったのが悲しいのか、祖父母に対していなくなって清々したと言う兄弟に反発して悲しんでいるのか、なんだかよくわからない悲しみがたまに襲ってくる。

別に好きじゃないけど、嫌いでもない。しかし、いなくて清々したとは言えないくらいには、二人に思い出があるような気がする。